高松地方裁判所 平成4年(わ)129号 判決 1993年10月04日
主文
被告人を懲役六か月に処する。
この裁判が確定した日から二年間刑の執行を猶予する。
本件公訴事実中傷害致死の点については、被告人は無罪。
理由
(犯罪事実)<省略>
(証拠)<省略>
(法令の適用)<省略>
(傷害致死の公訴事実について無罪とした理由)
第一 公訴事実及び争点
一 公訴事実
被告人は、暴力団山口組系倉本組内岩崎組善通寺支部長Aの輩下組員であるが、平成四年四月三〇日午前四時ころ、高松市勅使町一三一番地三第三飯間ビル二〇二号室の右A方において、同人と同棲中のB(当時一九年)が右Aを面ばするなどしたことに立腹し、手拳で右Bの顔面を殴打したり、その胸倉を掴んで後頭部を床に叩き付けたり、その頸部を右足で強く踏み付けるなどの暴行を加えて、同女に対し、頭部、顔面等打撲傷などの傷害を負わせ、よって同年五月一日午前四時四分、香川県善通寺市仙遊町二丁目一番一号所在の国立善通寺病院において、右傷害に基づく外傷性ショックにより同女を死亡するに至らせたものである。
二 争点
被告人は、捜査段階では、公訴事実に沿う内容の供述をしていたが、第二回公判期日において、公訴事実に対する認否として、その場にいたことは間違いないが、被害者のBへの暴行には加わっていない旨陳述して、公訴事実記載の暴行の事実を否認した。そのうえで、被告人は、今回の事件は暴力団組織における親分に当たるAが全てやったことであるが、Aに身代わりを頼まれて、Aをかばうために虚偽の供述をしていたものであると主張している。
本件の争点は、被告人がBに公訴事実記載のような暴行を加えたかどうかである。その当時現場には、死亡した被害者以外に、被告人とAだけしかいなかったため、争点に関する直接証拠は、被告人の捜査段階の自白の他には、被告人のBへの暴行を一部目撃したというAの公判段階の供述しかなく、それらの信用性の判断が本件の最大の問題点である。
そこで、まず、証拠上明らかに認定できる前提事実を確定したうえ、次に、Aの供述の信用性、被告人の捜査段階における自白の信用性を順次検討し、最後に、その他の状況証拠について検討を加える。
第二 証拠上明らかに認定できる事実
後記の証拠によれば、次の事実が認められる。
一 本件関係者の身上・経歴等
1 被告人は、昭和五九年に香川県内の中学校を卒業後、同県立坂出工業高等学校に進学したが一年で中退し、大工手伝い、人材派遣業などをしていた。被告人は、平成三年一二月ころ、「杉企画」の名称で人夫派遣業などをしていた暴力団山口組系倉本組内岩崎組本部長(兼善通寺支部長)のAと知り合い、平成四年一月ころには、正式に杯を交わしていないものの、実質的にその輩下組員となって、自らもコンパニオン派遣業を営むようになった。Aの配下組員としては、被告人のほかにC、Dがおり、その四名で暴力団組織を構成していた。被告人は、目先が利くことなどからAに信頼され、その組織の中では若頭的な地位にあって、親分であるAの命令には絶対服従しなければならない立場にあった。
ところで、Aは、感情の起伏が激しく粗暴で、いったん暴力を振るい始めるとなかなか止まらず、徹底的に相手を痛め付けるまでやってしまう性格の持ち主であり、被告人自身も、何度もAから暴行を加えられたことがあり、平成四年二月ころには、ワインの瓶で殴られて合計一五針くらい縫うほどの怪我をしたこともあった。
2 Bは、平成三年三月に広島県福山市内の高校を卒業後、同年四月高松市内の短期大学に進学して、同市内で独り暮らしを始めた。Bは、その後、生活が乱れ、複数のパトロン(その愛人となることによって月々の手当てとして現金をくれる特定の男性)からこづかいをもらったり、キャバレーでアルバイトをしたりするようになり、さらに新たなパトロン探しをしていたところ、平成四年二月一七日、Aの知人のEを通じてAを紹介された。Aは、同月二〇日、Bに知合いの会社社長をパトロンとして紹介するつもりでBと会ったが、Bの身の上話を聞くうちに、パトロンを紹介するよりも自分がBの面倒を見てやろうという気持ちになり、Bに自分と付き合わないかと持ち掛けた。Bは、パトロンの一人としてAと付き合うつもりでこれを承諾し、その日のうちにAと肉体関係を持って、一〇万円のこづかいをもらった。Aは、Bに対し、自分と付き合う以上は他の男との付き合いをやめなければ自分の面子がつぶれるので、他の男とは手を切るようにと言うなど、Bを独占することにかなりの執着心を持っていた。
Aは、同月二七日、同年三月四日とBに会ううち、本気でBと付き合っていこうと考えて、同月六日から、高松市勅使町一三一番地三の第三飯間ビル二〇二号室のAの自宅(以下「飯間ビル」という。)でBと同棲を始めた。Aは、Bに生活費やこづかいを渡し、合計三〇万円以上の洋服や装飾品等を買ってやったり、Bが同月二六日ころから通い始めた自動車教習所の費用二〇万円を負担してやったりして、合計一〇〇万円以上の金をBのために使っていた。これに対し、Bも、Aが肝臓を患っていることなどから、それに配慮した手料理をAのために作るなど、Aに尽くしていた。
しかし、Aは、前記のような粗暴な性格やBに対する独占欲から、同年四月七日ころ、Bが、他の男から電話があったようなことを口にしたのをきっかけに、Bが自分を裏切っていると憤慨して、Bの顔面を殴りつける暴行を加えて、Bに、三日間腫れがひかないほどの傷害を負わせたことがあった。
3 Aの配下組員らは、Bに対し、Aの内妻としてAに準じる立場にあるものとして接しており、被告人も、自分よりも年下のBを「姐さん」と呼ぶなど、親分と同様に逆らえない関係にあると考えていた。
4 Fは、Aの幼なじみであり、数名の従業員を抱えて個人で鳶職をしているが、山口組系尾崎組の組員であり、暴力団組織においてAの兄弟分に当たるため、被告人は、Fのことを敬意を込めて「おじ貴」と呼んでいた。
二 本件の概要
1 Aは、同年四月二九日午後九時過ぎころ、飯間ビルに帰宅してブランディーを飲み始めたが、Bの入浴中に、テーブルの上にあったBのアドレス帳を見て、そのアドレス帳に男性の名前と電話番号等多数記載されているのを発見し、Bが自分以外にも多数の男性と付き合っているのではないかと疑いを持った。Aが、入浴を終えて出て来たBにこれを問いただしたところ、Bは、友達の彼氏であるなどと言い訳をしながらも、その中には以前付き合っていた男性もいると言ったため、Aは、その男性のところへ電話を掛けて、既にBとの付合いがないことを確かめるとともに、二度とBには手を出すなと釘を刺した。
Aは、更にBの手帳にも目を通して、その手帳にAのことが「パパ」と書かれていることを発見した。Aは、自分はBとの結婚を真剣に考えていたのに、Bは自分のことをパトロン程度にしか思っていなかったと感じて憤慨し、Bに対し、げんこつで顔面を殴ったり、ゴルフクラブで腕を殴り、ネックレスを振り回して頭部や手にたたきつけるなどの激しい暴行を加え、これによりBは顔面が腫れ上がり、出血するなどの傷害を負った(それ以後の事実経過については、証拠上明らかとはいえない。)。
2 被告人は、同月三〇日午前三時三〇分ころ、ポケットベルでAから呼び出され、同日午前四時前ころ、自宅から飯間ビルに到着した(その後の事実経過については争いがある。)。
3 被告人とAは、暴行を受けてぐったりしていたBを、飯間ビルから、かつてAが住居として使用していたがその当時空き室になっていた香川県善通寺市与北町二〇五五番地の鉢伏団地A―一〇二(以下「鉢伏団地」という。)へと運んだ。その途中、被告人は、同日午前四時過ぎころ、香川県綾歌郡飯山町東坂元二二〇八番地の木村生麺所(以下「木村うどん店」という。)前の公衆電話から、Aの実姉の、Gに電話を掛けて、Gを鉢伏団地に呼び寄せるとともに、Cにも連絡を取って呼び寄せておくようGに依頼した。
被告人らは、午前四時三〇分ころ、鉢伏団地に到着した。その時には、Gは既に部屋の中で待っていた(その後の事実経過については争いがある。)。
4 その後、Bの容体が急変し、同日午前四時四四分、Gが一一九番通報した。Aは、救急隊が到着する前に飯間ビルへ帰るために鉢伏団地を出ようとしたところ、その時にCが鉢伏団地に到着した。AとCは玄関先で二、三言葉を交わし、Aは、Cが乗ってきた乗用車を自ら運転して飯間ビルへ帰った。その後、救急隊が鉢伏団地に到着し、Bは、Gの付添いで、香川県善通寺市仙遊町二丁目一番一号所在の国立善通寺病院(以下「善通寺病院」という。)に運ばれた。
5 鉢伏団地に残った被告人とCは、しばらくビールを飲みながら話をした(その会話の内容には争いがある。)が、Bが被告人につかみかかってきたように偽装するために、被告人とCで、被告人が着ていたティーシャツの襟首を少し引き裂いた(その際、被告人がげんこつで壁をたたいたかどうかには争いがある。)。
6 Fは、鉢伏団地の二階に住む自分の従業員のHからの連絡で、A方に救急車が来たことを知り、同日午前五時過ぎころ、鉢伏団地にやってきた。Fは、被告人から事情を聞いて(その内容には争いがある。)、Aに連絡をとり、飯山高校前の洋服店までAを呼び出したところ、Aは、自分で乗用車を運転して右洋服店まで来た。被告人、A、Fの三名で、善後策を話し合った(その内容には争いがある。)結果、AはBに一切手を出しておらず、被告人が本件について全責任を負うという内容の口裏合せを行った。それから、Aは再び飯間ビルに戻り、被告人とFは、Bの容体を確認するために善通寺病院に行った。被告人は、Gから、警察が事情聴取のために被告人の所在を探していると聞き、朝食をとってから警察に出頭するため、善通寺病院を出た。Fは、医師から、Bが危篤状態にあるので身内の者に連絡するように言われ、その連絡先を知るために、Cとともに飯間ビルへ行って、AにBの両親の連絡先等を聞いたが、結局、分からずに再び善通寺病院に戻った。
7 その後、FとGが、弁護士の佐長彰一のところへ相談に行き、Gが被告人とAの弁護を同弁護士に依頼した。
三 Bの死因、死体の損傷状況
1 Bは、同年五月一日午前四時四分、善通寺病院で死亡した。Bの死因は、全身殴打又は圧迫による皮下組織を中心とする部位への多量の出血に起因する外傷性ショック(出血性ショック)である(これにより脳機能麻痺を惹起したものであるが、頸部圧迫による気道閉塞が、より重篤な状態に陥らせた可能性はある。)。
2 Bの死体には全身に多数の損傷が認められるが、なかでも頭部、顔面及び上下肢の打撲傷の程度は著しく、かなりの皮下出血を伴うものである。これらは、いずれも生前に鈍体による打撲又は擦過的作用によって発起したものである。このほかにも、頸部圧迫(左側頸部から前頸部、右側頸部の全面に強い皮下出血が見られ、特に、前頸部には著明な索状皮下出血を形成している。)、脳硬膜下出血、脳クモ膜下出血が認められる。
頭部及び顔面の損傷のうち、七個から一三個の米粒大ないし粟粒大の表皮剥奪を直線状に形成する打撲擦過傷は、比較的幅の狭い鎖状の物体で強く打撲することにより惹起されたものであり、そのほかの打撲傷又は打撲擦過傷は、手足のような比較的柔らかい鈍体の打撲により発起したものと考えられる。頭部、左顔面、左側頭下部、左耳介及び右顔面の打撲傷は、当該部位を何回も殴打することによって惹起されたものである。頸部圧迫は、腕や足のような幅の広い柔らかい鈍体で強く圧迫することにより発起したものと考えられる。脳硬膜下出血は後頭部の打撲により、脳クモ膜下出血は頭頂部と後頭部の打撲により発起した可能性が高い。上下肢の損傷の大部分は、柔らかい鈍体により発起したものと考えられるが、上肢の打撲傷の大部分は、頭部及び顔面打撲を防御しようとして惹起されたものと推測される。
四 その他の関連事実
1 Aは、事件後、Fを通じて、Bの遺族に対し、慰謝料として一〇〇〇万円を支払う約束をし、既に五〇〇万円を支払っている。
2 Aは、Bに対する傷害罪と別件の銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により平成四年九月八日高松地方裁判所において懲役三年の実刑判決の言渡しを受け、同月二三日その刑が確定した。
五 以上の認定に用いた証拠の表示<省略>
第三 A証言の信用性
一 A証言の要旨
Aの証言(第三回公判調書中の同証人の供述部分)の要旨は、次のようなものである。
「Bに暴行を加えて少し気が済んだが、Bの顔を見ていたら、また手を出してしまいそうになるので、Bの髪の毛をつかんで押入れに押し込んだ。ブランデーの水割りを飲みながら、しばらくうとうとしていたところ、押入れから物音がしたので、Bに出てくるよう言った。出てきたBは、腫れた顔を冷やしたりしながら、水割りを作ってくれた。水割りを三、四杯飲んだころに、Bに『パンパンみたいなことするなよ。』などと言ったところ、Bも、私に他の女からポケットベルで呼び出しがあることを非難したり、あんたは金だけの男だとか、出身部落のことなど私を侮辱するようなことを言い返してきた。しかし、私はこれを本気にせず、子供がだだをこねているのを聞くようなつもりでいたが、Bがしつこいのでうっとうしくなり、『IかCにでも話を聞いてもらえ。』と言ったところ、Bが、ポケットベルで被告人を呼び出した。被告人から折り返し電話がかかって来たので、私は飯間ビルまで来るように言ったが、その後は酔いが回って寝込んでしまった。胸が苦しい感じがして目を覚ますと、Bが金だけの男だというようなことを言っていた。被告人は、倒れているBの左横に立って、Bの顔の辺りを右足で蹴っていた。踏ん付けるというよりは蹴っているという感じである。蹴ったのは一回やそこらではない。それを見て私は、なぜ被告人がそんなことをしているのかという気持ちだった。私が被告人に『やめ』と言うと、被告人が蹴るのをやめた。そのとき被告人の声は聞いていない。Bが舌を巻き込んで『ゴホゴホ』と妙な音を出していたので、私はとっさに指を舌のところに突っ込んだ。私は被告人に、Bを医者に連れていくよう指示し、被告人の自動車にBを運び込んだ。その後の記憶はあまりない。途中、車の中で目を覚ました時、公衆電話から被告人が戻って来るのを見た。被告人はGに電話していたようなことを言っていた。私が指示して電話させたものではない。なぜ被告人がGに電話したのか分からない。その後、車は鉢伏団地に到着した。私が鉢伏団地に行くように指示したことはない。なぜ被告人が病院に行かずに鉢伏団地に行ったのかも分からない。鉢伏団地の部屋には私がBを抱えて入った。鉢伏団地で、私がBの心臓の辺りを押していたような気がする。鉢伏団地の部屋には誰もいなかった。Gが来ていた記憶はない。被告人から『帰っておって下さい。』と言われ、飯間ビルへ帰ろうとする時、鉢伏団地の玄関のところでCに会った。被告人がどういう理由で高松に帰っておくように言ったのかは分からないが、私は信頼した人の言うことは聞くので、それに従っただけである。なぜ一緒に病院までついて行かなかったのか自分でも良く分からないが、そのことは今でも残念に思っている。その後、飯山高校前の洋服屋のところでFと会った。どういう理由で会ったのかは覚えていない。そのとき被告人がいたかどうか記憶にない。Fから、Bが病院で手当てを受けていると聞いてスーッと落ち着いたのを覚えている。その後、飯間ビルで寝ていたら、刑事に起こされ事情を聞きたいと言われた。私の額の傷と胸のひっかき傷は、いつできたものか分からないが、私が寝ている間にBにやられたのではないかと思う。」
二 証言内容の検討
Aの証言のうち、被告人のBに対する暴行を目撃したという点は、公訴事実に関する直接証拠となり得るものである。しかし、Aの証言には、次に述べるような不自然な点が認められる。
1 Aは、当初、平成四年五月一四日付けの警察官調書では、被告人がBの左肩付近を蹴っていたと供述していたが、同月一八日付け検察官調書(謄本)では、顔か首辺りを蹴っていたと供述を変え、公判段階では、前記のように、顔の辺りを蹴っていたと証言している。この点は、被告人の捜査段階における自白との符合性やBの死体の損傷状況との符合性ともからむ重要な事実であるが、このような重要な供述の変遷について、右検察官調書でも公判調書でも変遷の理由は述べられていない。
2 Aは、被告人がBの顔の辺りを蹴っているのを見て、なぜ被告人がそんなことをしているのかという気持ちだったと証言するが、そのときに被告人にその理由を聞いていないだけでなく、その後も、一切被告人にその理由を確かめていない。
Aの言うように、Bの容体が急変したので、とりあえずBの介護に気を取られて被告人にその理由を問い質すことまで気が回らなかったということも考えられるが、その後、被告人とともに自動車に乗って鉢伏団地に向かうときや鉢伏団地に着いてからでも、その理由を聞く機会はあったはずである。また、被告人にとっても、配下の組員が親分の内妻に手を掛けるという暴力団組織においてはおよそ考えられないような異常な行動をとったのであれば、親分であるAからその理由を聞かれなくても、自ら釈明に努めるのが普通であるし、その後にFを交えて話をしたときにも、当然、被告人からその事情についての説明がなされるはずである。たしかに、Aは、検察官から再主尋問で「Iが被害者を蹴ってたとき、Iからわあわあとあなたに説明したのは聞いてる。」と質問されて、「何か言いよった気はします。何せ落ちつけいうような、その言葉の内容いうたら表しようがないですけど、なんかそんなようなあれはあったと思います。それでなかったら、自分の性格からしたら絶対許してないと思うんです。」と答えているが、Aは、その前の弁護人の反対尋問の際には、とにかくBの容体がおかしいことに気を取られて被告人が自分を納得させるようなことを言ったかどうか分からないという趣旨の証言をしていたのであり、両者の間には食い違いが見られる。そもそも検察官の再主尋問が、被告人が何か声を発したということを前提としていることや、それにより得られた証言もかなりあいまいであることからすると、その信用性は低いというべきである。
3 Aは、飯間ビルでBの容体がおかしくなったので、Bを病院へ連れていくよう被告人に指示したが、被告人は、病院へは行かずに鉢伏団地へ向かって車を走らせた。しかし、Aは、その途中、病院に向かっていないことに気が付かなかったし、なぜ被告人が鉢伏団地に向かったのかも分からないと証言している。
まず、鉢伏団地に向かっていることに気が付かなかったという点については、捜査段階における供述との間に変遷がみられる。Aは、平成四年五月一四日付け警察官調書では、Bを運び出すときに、被告人が鉢伏団地へ行ってしばらくBの様子を見るようなことを言っていたと供述しており、これによると、Aは、初めから鉢伏団地に向かうことを知っていたことになる。しかし、同年五月一八日付け検察官調書(謄本)では、被告人に「病院や」と言ったとき、被告人が何か言っていたような気がするが、はっきりとは覚えていないというように変遷し、公判段階では、右のように、被告人が何か言っていたということすら述べていないし、病院へ向かっていないことには全く気が付かなかった旨の証言をしている。そして、その供述の変遷についての説明は全くなされていない。
次に、Aが、病院に向かっていないことに途中で気が付かなかったということ自体がそもそも不自然・不合理である。Aは、酒に酔っていたことや眠気をその理由として挙げるが、その証言によれば、Aは、Bの容体が急変してあわてて病院に運ぼうとしたというのであるから、そのようなときに、飲酒の影響や眠気くらいで自分がどこに向かっているのかも分からなくなっていたというのは不自然・不合理である。また、Aは、途中で被告人が電話を掛けて戻ってきた記憶があるとも証言するが、少なくともその時点では、病院に向かっていないことに気が付くはずである。
さらに、仮に、Aが途中で全く気が付かなかったとしても、遅くとも鉢伏団地に着いた時点では、被告人が病院に向かわなかったことに気が付いていることになるが、そのような行動をとった被告人に対して、Aがその理由を問い質すといった場面は、その証言の中には全くみられない。Aは、Bを愛しており将来は正式に結婚しようと思っていたというのであるから、Bを直ちに病院に運ばなかったことについて、被告人に説明を求めるのが普通である。とくに、降車後、Bを鉢伏団地に運び込んだのはA自身であるから、何の説明もなしに自ら病院以外の場所に運び込んだというのは不自然・不合理である。
このようなAの証言は、Bを病院に運べば事件が発覚する恐れがあるので、しばらく様子を見るために、自らの指示でBを鉢伏団地に運ぶことにしたという事実を隠そうとしたものではないかと考えられる。
4 Aは、鉢伏団地にGが居た記憶はないと証言しているが、平成四年五月一四日付け警察官調書では、Gが鉢伏団地に来てBの様子を見てくれたと述べており、供述の変遷が認められるが、その変遷の理由についての説明はない。Gがその場にいたこと自体は証拠上明らかに認められる事実であり、Gは、Bの体をさすって介抱したり、一一九番通報したりしているのであるから、Aがこれに気付かないということはありえない。
5 Aは、Bに暴行を加えるに至る経緯やその後の暴行態様については、ある程度詳細に証言するが、被告人をポケットベルで呼び出してから後の行動については、ほとんど記憶がないとして、あいまいな証言しかせず、その間には供述の等質性が認められない。
この点についてAは、飲酒による影響とその後眠り込んでしまったことによる記憶の欠落などを原因として挙げている。しかし、第二の二で認定したように、この間にAは、被告人とともにBを鉢伏団地まで運び、鉢伏団地からCの自動車を自ら運転して飯間ビルに戻り、次にFに電話で呼び出されて、飯間ビルから自動車を運転して飯山高校前の洋服店まで行き、そこで被告人、Fとともに本件の善後策を話し合い、再び飯間ビルまで自分で自動車を運転して帰っているのである。これだけの行動をとっておきながら、記憶が欠落するほどの飲酒による影響があったとは考え難い。また、北川式飲酒検知器によるアルコール濃度測定検知管によれば、同年四月三〇日(単に一一時三〇分との記載しかないが、他の関係証拠からうかがわれる捜査の経過からすると、午前一一時三〇分に実施されたものと推測される。)、Aに対して行った飲酒検知の結果では、呼気一リットル当たり0.25ミリグラムのアルコールが検出されているが、アルコールの保有量としては決して多い方ではなく、この点からも、その当時、Aに飲酒による影響がそれほどあったとは考えにくい。そして、Aの供述経過をみても、当初、全く記憶がないということで通そうとしたが、取調べが進むに従って、言いのがれのできない範囲のものについては仕方なく認めたという態度がうかがわれ、Aは初めから事件当時の詳細な記憶を有していたと考えられる。
それにもかかわらず、Aが、被告人を呼び出した以後の経過については、依然として記憶がないという供述を維持しているのは、その後の経過について、真実を隠蔽する意図があるからにほかならないと思われる。
6 Aは、平成四年五月一三日付け警察官調書(検一三四)では、飯山高校の近くの洋服屋の前でFと被告人に会ったと述べていたのに、公判段階では、その場に被告人がいたかどうか覚えていないと証言している。また、その際の会話の内容についても、右警察官調書では、被告人一人がBを殴ったことにするとの口裏合わせを行ったと供述していたのに、同月一九日付け検察官調書(謄本)、第三回公判調書では、Fから「Bは病院に行っとるから心配するな。」と言われたという供述があるだけで、被告人が事件の責任を負うことについての話がなされたということについては一切触れていない。
ここにも供述の変遷が見られるが、その理由についての合理的な説明は右検察官調書にも公判調書にもない。その時点では、Fは、既にBの容体がかなり悪いことを知っていたし、AにしてもBが病院に運ばれたことは知っているのであるから、Fが、単にBは病院に行っているから心配ないなどということを言うために、わざわざAを呼び出したとは考えられない。Fの証言(第七回公判調書中の同証人の供述部分)及び被告人の捜査・公判段階を通じての供述によれば、その際に、Aを事件とは無関係ということにして被告人が事件の全責任を負うという口裏合わせを行ったことが認められるが、Aはあえてこれを否定しようとしているのであり、これは、事件の責任を免れようとする意図の現われとみることができる。
7 Aは、鉢伏団地でBの容体が急変し救急車を呼ぶまでに至っているのに、救急車が到着する前に、後の処理を被告人に任せて、自分は一人飯間ビルに戻っている。Aは、Bのことを愛しており、結婚するつもりだったというのであるから、救急車が到着するまで待ち、病院まで付き添うのが普通である。事件の責任を免れようとするAの意図は、このような行動にも現れている。
三 小括
このように、Aの証言には多くの疑問点がある。そして、以上を総合すると、AがBに暴行を加えるに至る経過等についての証言は、ほぼ事実を語ったものと認められるが、被告人を呼び出した以後の経過に関する証言は、全く信用できないというべきである。したがって、その証言によって、被告人が公訴事実記載の暴行を行なったことを合理的な疑いを入れない程度にまで証明し得るものとは到底いえない。
第四 被告人の捜査段階の供述の信用性
被告人の供述は、次にみるように、①平成四年四月三〇日付け警察官調書における供述、②同年五月一一日付け検察官調書以降公訴提起に至るまでの間の供述、③公判段階における供述の三つの段階において大きな変遷が認められる。このうち、公訴事実に沿うのは②の段階の供述であるから、その信用性について検討する。
一 被告人の供述の経過についての検討
1 供述の経過とその内容
(一) 逮捕当日である平成四年四月三〇日付け警察官調書における被告人の供述の要旨は、次のようなものである。
「本日午前三時前後ころ、ポケットベルが鳴り、メッセージでAからの呼び出しを確認し、私の自動車でCの家に行き、Cを乗せて飯間ビルへ向かった。Cを部屋の外で待たせて、私が部屋に入ると、Aはベッドの上であおむけになり、その上にBが馬乗りになっていた。私は慌てて二人のそばに駆け付け、『おやじだいじょうぶですか。』と声を掛けたところ、いきなりBが何か言いながら私の胸元につかみかかってきた。私がびっくりしてBを両手で払いのけると、Bはベッドの横の床の上に落ちた。私はAに『おやじだいじょうぶですか。』と声を掛けたが、Aはぐったりして何も言わなかった。Bを見ると、ぐったりして苦しそうな息をしていたので、私はBに『だいじょうぶな。』と声を掛けたが、何も返事がなかった。私がBを払いのけたとき、投げ飛ばすような格好になり、Bがテーブルか何かにあたったような『ドン』という音がした。部屋の中を見ると、化粧品やたばこの箱が散らかっており、テーブルが動いていたので、AとBがかなり争ってけんかをしたと思った。Bは、ほほが腫れて顔のあちこちに血がついていたので、Aがかなり殴ったりしたのだと思った。Bは目を閉じており、病院へ連れて行かなければいけないと思った。Aは、ベッドで横になったまま酒を飲んでいたのか、何も言わなかった。私は、私がBを投げ飛ばしたことが原因でBがぐったりとなったのではないかという不安で気が動転してしまい、鉢伏団地へ連れて行こうと思った。Aが何も言わないので、私はBを抱えて表に出て、待っていたCに手伝ってもらってBを車に運び込んだ。Bを後部座席に寝かせ、Cを助手席に乗せて、私が運転した。途中、木村うどん店の近くの公衆電話からGに電話を掛けて、鉢伏団地に来るよう連絡した。私が鍵を開けて鉢伏団地の部屋に入った。Bは息がしにくいような様子で呼吸をしていたが、何も言わずあまり動きもせず意識不明だった。Gはまだ来ておらず、私とCで、玄関を入ってすぐの廊下にBを寝かせた。それから五分くらいしてGが来た。GはBの様子を見て、『これはいかん、救急車呼ばないかん。』と言って、すぐに部屋の電話で一一九番通報した。しばらくして救急車が来て、Gが一緒に乗り込んで病院に行った。」
(二) しかし、その後、被告人は、同年五月一一日付け検察官調書において従前の供述を変更し、「私が止めに入ると、Bが私に向かってきて口論となり、頭にきて、Bを殴ったり蹴ったり床の上に押し倒したりした。するとBが急に苦しみ出したので、私とAが鉢伏団地まで運んだ。」旨自らの暴行の概略を供述し、続いて、同月一四日付け警察官調書で、その暴行態様の詳細について供述している。その要旨は次のようなものである。
「私は、午前三時三〇分ころAから呼び出され、すぐに自分の車に飛び乗った。興奮気味のAの電話の内容から、AとBがもめているらしいと分かり、自分が仲に入って止めなければいけないと思い、急いで飯間ビルに向かった。午前四時前ころ飯間ビルに到着すると、ドアロックもしないで運転席から飛び降り、飯間ビルの部屋に駆け上がり、Aから預かっていたスペアキーで鍵を開けて部屋に入った。
私が部屋に入るとすぐに、ベッドの上で長い髪を振り乱し、あおむけで寝ていたAの腹付近に馬乗りになって、両手の手拳でAの顔とか肩付近に殴りかかっているBの姿が目に入った。Bは、Aを殴りながら、半狂乱状態で『なんで私ばっかり言われないかんの。』とわめいていた。Bの両手と顔には血がついていた。Aは、額のあたりから血を流し、顔中が血まみれになって、Bの手を払いのけていた。Aは声にならない声で何か言っていた。
私は、早く止めないかんと思い、すぐ靴を脱いでベッドのところへ行き、馬乗りになっているBに『どっしょんですか姐さん。』と怒鳴ると同時に、Aの顔を見直すと、Aは額から血を流してぐったりしていた。私はAに『おやっさん大丈夫ですか。』と問いかけたが、Aは『うん』と言うだけで、ぐったりしてあおむけになったままの状態だった。すると今度はBが、気違いみたいになって声を荒げ『なんで私がしばかれないかんの。』などと言ってきた。Bは、Aの腹の上に馬乗りになったままで私に怒鳴った。Bの顔は赤く腫れて血がつき、両手にも血が一杯付いて、長い髪も乱れていたことで、恐ろしい鬼のような顔になっていた。私はAの体が心配で、馬乗りになっているBの右斜め前から、Bを抱きかかえるようにして『姐さんやめまい。』ときつく言い、Aの体の上からのけようとした。すると、Bは、大声で『やめてよ。』とわめくと同時に、右腕を私の顔付近めがけて一回振り払ってきた。振り払った右手の甲が私の下唇に当たり、唇が破れ血が流れ落ちた。私は、Bの一撃で一瞬たじろいだが、早くBをどかさないといけないと思い、強引にBを抱いてそのまま引き降ろそうとした。私は、女に殴られて多少頭にきていたが、やはり親父の姐さんという気があり耐えていた。すると、更にBは、左手で私の顔をひっかくようにつかみかかってきた。私はとっさに逃げたので、あごの先をかすめる程度で終わったが、つかみかかってきたBの左手がちょうど私の着ていたティーシャツのえり首に引っ掛かって、Bにシャツをつかまれた格好になった。私は、そのままBをベッドから引きずり降ろしたが、Bは私に力一杯抵抗しており、無理やり引き離したことで、私が着ていたティーシャツの胸元がビリットと破れてしまった。Bは、私が力一杯引き飛ばしたことで、ベッドとテーブルとの間に倒れた。その時、『ガチャン』と音がしたり、Bが倒れた音なのか『ドン』とか『ゴン』という音もした。
私は、やっとの思いでBをAの体の上から降ろし、すぐAの寝ているベッドに行き、あおむけになっているAに『おやっさん大丈夫ですか。』と声を掛けた。Aの顔は、額から流れ出た血で真っ赤になっていた。Aは目を閉じ、私の呼び掛けにも返答しなかった。私がAに呼び掛けていたところ、私の後で『ガタガタ』という音がして振り返ると、ちょうど倒れたBが立ち上がるところだった。私はこの時、たとえ親父の女でも親父に手を上げることは絶対許されることではないと、半ば頭にきて、Bに『なんで親父に手をあげるんな。』ときつく言った。すると、Bは、怒った口調で『私やって手をあげられとるやない。』と反発してきた。私は、『それにしたって手をあげるんはいかんやろう。あんだけ親父に大事にしてもらいよったのに。』と言った。その言葉に、Bは、あざけわらうような口調で『よその女からベルは鳴るし、ちょっと気にいらなんだら手はあげるし、何言いよんな。第一私が本当に本気で惚れとる思とんな。ちょっと女らしいにしたらつけあがって。私やお金が欲しかっただけや。それに部落の人間や、はなから相手にしてないわ。甘いんちゃん。』などとAのことをののしったり、差別したりの文句を続けざまに言った。
私はこれまで、Aから口ぐせのように『Bはええ女や。身体を心配してくれて、料理まで気を使ってくれるんや。』とか『わしの子供の面倒を見てくれる言いよる。結婚するんや。』などと聞かされたり、また、自分自身もこれまでに、BがAの体を心配して毎日の献立てを考えて帳面に書いたり、酒も体に悪いからといって注意するのを見聞きしていたので、本心からBがAのことを心配し、将来は結婚もして幸せになってくれるものと信じていた。信じていたBから思いもかけない言葉を聞き、私は、『くそっ、この女は今まで親父を騙しとったんや。金だけが目当てで親父の機嫌をとっじょったんや。』と腹の底から怒りがこみあげてきた。しかし、いくら自分が腹を立てても、しょせんは親父の姐さんということで、その時は何の言い返す言葉も出なかったが、私は、今までの嘘ばかりのBと、血まみれになっているAの顔を見て、『今まで一生懸命姐さんに尽くしてきた親父がふびんや。このままではあまりにも親父がかわいそうや。』とAに同情する悲しみがわいてきた。私は悲しみが増すにつれ、Bに対する怒りがますますこみあげてきて、頭に血がのぼってくるのがわかった。そして、決定的な言葉で、Bは、Aが部落の人間であることを平気で言い、これらBの吐いた言葉が完全に親父を馬鹿にしていたと考え、私自身がBに頭にきて、プッツンしてしまった。大事な親父がけがまでさせられてというようなことが全部頭の中でゴジャゴジャになってしまった。そして、私は『ここまで親父を馬鹿にされたうえ、手までかけられて、若衆の自分が放っておくわけにはいかん。たとえ姐さんと呼んでいた女でも、もうこうなったら親父の姐さんではない。ただのそこいらのかすの女や。絶対許すことができん。親父がやられて若衆が黙っとくことはできん。女でも親父に手を出す奴は絶対こらえん。もうこうなったらとことんいてしまわないかん。やってしまわないかん。ブチ殺してやる。』という気持ちになった。
この気持ちは、瞬時のことで、ただもう『いてしもうてやる。』と思うと同時に体が動いて、まず、テーブルの南側に立っていたBに右手拳で一回左頬目掛けてパンチをいれた。Bは、私のパンチをまともに受け、その場にあおむけにバタンと倒れた。続いて、北向きに倒れているBの右側から、右肩付近を目掛けて右足で一回思い切り蹴り付けた。倒れたBは、私のパンチと蹴りでよほど痛かったのか、『ウーウー』とうなっていた。続いて、うなっているBの右耳付近を三回くらい蹴りつけ、その後、倒れているBの上に馬乗りになって、着ているパジャマの胸倉を左手でつかんで引っ張り上げ、中腰の状態で、右手拳でBの頭、顔を目がけ一〇数回殴りつけた。殴りつけた後、今度は両手で胸倉をつかんだままBの頭を床に五回くらい『ゴンゴン』と打ち付けた。このころはもうBには抵抗する力もなく、声も出ない状態で、半ばぐったりしている状態だった。私は、続いて、髪の毛をつかんで倒れているBを起こし、右膝で顔を二回くらい蹴りつけた。Bはすでに自分で立つ力もないようで、私が蹴るのをやめたところ、その場にあおむけにバタンと寝てしまった。Bは『ウーウー』とうなり声を出していた。私はまだ腹の虫が納まらず、今度は倒れているBののど首に右足を乗せてグーッと力一杯踏みつけた。Bは、私がのどを踏みつけたことで息苦しかったのか、『ぐうっ、ぐうっ』と息の詰まるような音を出していた。私がBののどを力一杯踏みつけているとき、後からAが『なにしょんじゃ。』と声をかけ、私はその声で我に返った。私はAに『おやっさん、この女はおやっさんを騙しとんや。おやっさんを馬鹿にしとんや。おやっさんまでやられた上、わしにまでくってかかってきてやってしもうたんです。』と言った。Aは私の言ったことが分かったようで、怒りもせず『もうええが、やめとけ。』と言って止めてくれた。
そうしているうちに、倒れているBが『ゲボゲボ』と音を出し、歯を食いしばり、引きつけを起こしているような状態になった。そこでAが、『ちょっと待て、様子がおかしいぞ。』とBの顔をのぞき込んだ。私も、Bの様子がただごとでない、ひょっとしたら死ぬのではないかと思った。Aも私と同じ思いだったのか、すぐに倒れているBの首に腕を添えて、立ちひざをして顔を上げた。Aは『息が詰っとる。舌が巻き込んどるかも分からん。』と言って右手でBの口を開けようとした。私も横で何か口を開けるようなものがないかと部屋を見渡したが、Aが突然『これはいかん、病院じゃ。』と言い、Bを抱きかかえた。私はAの声にびっくりして、これは本当に危ないかも知れないと思い、急いで玄関のドアを開け、Bを抱えていたAを外に出した。
このとき、私は、もしこのままBを病院に運べば、警察に連絡されAと自分が捕まってしまうので、この部屋のことは分からないようにしよう、Bはこの部屋にはいなかったことにしようと考え、目についたBの化粧品や手帳などをBの手提げバックに放り込み、部屋の鍵をして飯間ビルを出た。
(三) この供述は、同月一五日付け警察官調書でも基本的に維持されているが、同月一四日付け警察官調書では、「Bの右側に立って右肩付近を蹴った。」とされていたのが、同月一五日付け警察官調書で図面により位置関係を説明した際には、「Bの左側に立って左肩付近を蹴った。」と変更されている。
(四) 被告人は、同月一六日付け検察官調書においても、同月一四日付け警察官調書とほぼ同様の供述を繰り返しているが、後に述べるように、「Bの左肩を蹴った。」として、右警察官調書の供述を変更する旨明言している。
2 供述変更の理由について
(一) 被告人は、①の段階では、「被告人は、Cとともに飯間ビルに行った。被告人は、Bが被告人の胸元につかみかかってきたので、Bを両手で払いのけたが、その際に、Bがテーブルか何かで頭を打った。被告人はそれ以外の暴行は加えていない。その後、Bを飯間ビルから鉢伏団地に運んだのは被告人とCの二人であって、Aは行っていなかった。」旨の供述をしていたが、②の段階で、「飯間ビルに行ったのは被告人だけであり、Cは行っていない。被告人は、飯間ビルでBに激しい暴行を加えた。Bを鉢伏団地に運んだのは被告人とAである。」と供述を変更したものであるから、②の段階の供述の信用性を判断するには、供述変更につき合理的説明が可能かどうかにつき検討する。
(二) まず、①の供述のうち、被告人がCとともに飯間ビルに行き、その後、Cと二人でBを鉢伏団地に運んだという点は、被告人のその後の供述やC、A、Gら関係者の公判段階での供述等に照らし、虚偽であることは明らかであるが、そのような虚偽の供述がなされた動機は、Aが事件に無関係であることを装うためのものであり、この虚偽供述は、関係者の間で行なわれた口裏合せに基づいて行なわれたものと認められる。
次に、①の供述のうち、被告人の暴行が、Aに馬乗りになっていたBを振り払った際に、Bがテーブルに頭をぶつけたことだけであるという点も、虚偽の供述であると認められる。なぜなら、前記のようなBの死体の損傷状況からすると、Bに加えられた暴行はかなり激しいものであり、その暴行を加えられた後には、ほとんど身動きできない状態に陥っていたと考えられるから、本当にBがAに馬乗りになってこれに暴行を加えるという行動をとり得ていたのであれば、その後に、被告人が激しい暴行を加えたのでなければ、死体上の損傷状況と矛盾することになるからである。
(三) 被告人は、結局、このような虚偽の供述を維持することができず、②の段階で、前記のように供述を変更しているが、問題は、この②の段階の供述が、被告人が改心し真実を述べたものなのか、なおもAをかばうために虚偽の供述を繰り返したものなのかということである。そこで、被告人が②の段階で述べる供述変更の理由について検討する。
被告人は、平成四年五月一一日付け検察官調書では、供述変更の理由を述べていないが、同月一二日付け警察官調書で、「私とAがBを殴ったり蹴ったりする暴行を加え、その結果殺してしまったことについて、Aをはじめ、私、G、F、Cで相談して、Bを殺したのは、私一人のせいにしようということで事件の経過をうそでかためていた。逮捕されて一二日ほどになり、それまで刑事さんの質問に全部うそを言ったり作り話をしてきたが、毎日刑事さんから私の将来とか家族のこと等を聞かされ、また、私が手に掛けたBとその両親のことを思うと、Bや両親にすまない、早く本当のことを言って早く罪の償いをしなければ本当に自分は悪い人間になってしまうということで、正直に本当の話をする気持ちになった。」「私は、本当のことが分かればAが逮捕される、私も手を掛けているので、警察で調べられたら、私一人がやったことにしようと考えた。そこで、Fに一部始終を話して、自分が全部仕舞いすると言って、Fもこれに賛成した。そして、F、Gらにいきさつを話し、警察で事情を聞かれたら全て打合せどおり供述するよう口裏合わせをした。いずれ本当のことがバレると思っているが、私の立場としては、どうしても一番に話ができないことを分かって欲しい。」旨供述変更の理由を述べている。
ここで述べられている供述変更の動機は、それなりに自然ではあるが、被告人が虚偽供述を維持しながらでも語り得ないものではないと認められる。被告人は、取調べに当たった警察官から、被告人がAをかばって虚偽の供述をしているのではないかと疑われていたので、それらしいことをいって警察官を納得させるために右のようなことを言ったと公判段階で供述しているが、その説明も自然でそれなりにうなずけるものがある。そして、被告人は、そのように供述変更の理由を説明した後、それに続く同月一四付け警察官調書において、暴行の態様につき前記のような詳細な供述をしているのであるが、その供述においても、Aの暴行に関しては、被告人が飯間ビルに到着する前にAがかなりの暴行を加えたと思うという推測が述べられているに過ぎない。この点では、①の段階と何ら変わりがなく、しかも、被害者の死亡との因果関係に関しては、結局、被告人の暴行が最終的な原因を与えたという線が維持されているのであるから、供述内容からみる限り、②の段階の供述も、Aをかばうための虚偽の供述であるという可能性は否定できない。
被告人は、公判段階で、①から②への供述変更の理由について、「AやCの供述と合わなくなったから、これに合わせるように供述を変えた。」、「暴行の態様についても、もうどうでもええわという気持ちになって適当に供述した。」と説明しているが、前に述べたように、①の供述は、Bを鉢伏団地に運んだ状況等からみて明らかに虚偽と認められるから、つじつまが合わなくなるのも当然であり、その点を追及されれば、被告人としては供述を変更せざるを得ない。そして、被告人が、親分であるAをかばいつつ、死体の損傷状況との一致を図ろうとすれば、被告人が飯間ビルに到着した後に、被告人自身がBにかなりの暴行を加えたと供述するほかないのであるから、被告人がAをかばう意図を有していたことを前提とする限り、②の段階の供述が、関係者の供述に合わせるために適当になされたということも十分考えられる。
このようなことからすると、①から②への供述変更の動機について被告人が述べるところは、それ自体不自然・不合理というほどのものではないが、それが②の段階の供述の信用性を確信させるほどのものともいえない。
(四) また、②の段階の供述の中でも、平成四年五月一四日付け警察官調書で「被告人はBの右側に立って右肩付近を蹴った。」とされていたのが、同月一五日付け警察官調書において、その時の両者の位置関係を図面に書いて説明する際には、「被告人はBの左側に立って左肩を付近を蹴った。」と変遷しており、同月一六日付け検察官調書では、被告人がBのどちら側に立ったのかは明らかでないが、「左肩を蹴った。」とされている。
この供述変更の理由について、同月一五日付け警察官調書では何の説明もなく、右検察官調書では「警察では右肩と言っておりますが、よく考えると左肩ですので訂正して下さい。」と、被告人がこの時点で初めて記憶違いに気が付いたような説明がされている。
たしかに、そのような点について記憶違いをすることはまれではないから、このことから、直ちに右自白の信用性を否定すべきであるとは解されない。しかし、実況見分調書(検四)によれば、被告人がBを蹴ったとされるのは、テーブルとソファの間というかなり狭い場所であると認められるが、本当に被告人がそのような行動をとったのであれば、被告人がBのどちら側に立ったのかということは、比較的記憶に残りやすいことがらであるといえる。したがって、この点についての供述が変動していることから、被告人がそのような暴行を加えたことに疑問を投げかける余地はある。そして、被告人は公判段階で、警察で話した内容に矛盾があったことに気付いて、検察官調書で訂正したという趣旨の説明をしているが、この説明も不自然なものではなく、被告人が適当に暴行態様を供述するうちに、相互に矛盾する供述をしてしまったということも十分考えられる。
二 犯行の動機の有無
1 被告人に本件犯行の動機が存在するかどうかは、自白の信用性の判断に当たって重要な事実である。①の段階における被告人の暴行に関する供述が虚偽であることは明らかであるので、②の段階の供述について、犯行の動機に関する部分を検討する。。
平成四年五月一四日付け警察官調書では、要するに、被告人は、BがAと金目当てで付き合っていて、Aをだましていたことに腹を立てたということが動機として述べられている。
2 まず、被告人がこのような動機を抱く原因となった状況に関する供述自体に、次のような不自然・不合理な点がある。
(一) Aは、体格にも優れ、暴力団幹部で粗暴であり、いったん暴力を振るい始めると、徹底的に相手を痛め付けるまで止まらないという性格の持ち主であり、B自身も、本件以前にもAに激しく殴られて三日間腫れが引かないほどの暴行を加えられたことがあったうえに、本件当日も、げんこつやゴルフクラブで激しく殴られ、出血するほどの暴行を加えられていたのである。そのようなAに対し、女性で体力的にもAとは比較にならないほど劣るBが、馬乗りになって暴行を加え、その暴行によりAがかなりの出血をするほどの傷害を負っていたというのは、極めて不自然・不合理である。
(二) また、仮にBがそのような暴行を加えたとしても、これに対してAが何の反撃もしていないというのも不自然である。本件当時Aが酒に酔っていたという状況があったとしても、その後のAの行動から見れば、その程度はそれほどではないと認められるから、反撃はもとより何らの防御もできない状態であったかのような供述は不自然である。
(三) さらに、Bの手が被告人のティーシャツに引っ掛かってシャツのえりが破れたということが、被告人が犯行の動機を生じる原因となった一連の状況として供述されているが、この点は、後記三2(二)で指摘するように、虚偽であることが明らかである。そのような一連の行為の一部について、明らかに虚偽の事実が含まれているということは、これと不可分的に供述された他の部分の信用性を著しく低下させるというべきである。
3 また、もし、このような状況が真実であったと仮定しても、それによって被告人が抱くべき暴行の動機と被告人の供述する暴行態様との間には不釣り合いがある。
既に述べたように、Bは、親分であるAの内妻であり、被告人としては逆らうことのできない立場にあったのであるから、被告人が供述する被告人のBに対する暴行態様は、あまりにも激し過ぎるとの感を否めない。BがAと金目当てで付き合っており、Aをだましていたことが分かったとしても、被告人の立場からすれば、それをAに報告してその指示を仰ぐのが通常考えられる行動であり、いきなり親分の内妻に自ら手を出し、前記のような激しい暴行を加えたというのは、やはり不自然さが残るというべきである。
三 自白と客観的証拠との符合性
1 Bの死体の損傷との符合性
被告人が自白する右暴行態様とBの死体の損傷との符合性について検討する。
(一) 捜査段階の自白に表われた被告人の暴行態様は、Bを引き倒して頭部をテーブルにぶつけ、げんこつで顔面を殴打し、足で肩付近を蹴り、後頭部を床に打ち付け、右膝で顔面を蹴り付け、足で頭部を蹴り、足でのど首付近を踏み付けたというものである。
前記第二の三で認定したBの死体の損傷状況のうち、頭部、顔面、上肢、肩の打撲傷、前頸部の索状皮下出血などは、この暴行態様から生じる可能性のあるものであり、被告人の捜査段階の自白は、死体の損傷状況と符合するといえる。
(二) しかし、被告人が飯間ビルに到着する前に、AがBに暴行を加えているので、死体の損傷状況との符合性をみるには、Aの暴行態様も考慮に入れる必要がある。A自身が認める暴行態様は、げんこつでBの顔面を一〇回くらい殴打し、ゴルフクラブで左上腕部を三回くらい殴打し、包丁の横の平らな部分で前頭部を二回くらいたたき、ネックレスを振り回して頭部、顔面、上肢にたたき付け、上下肢を六回くらい足蹴りにしたというものである(第三回公判調書中の証人Aの供述部分)。
これによると、顔面、上肢、肩の打撲傷等は、Aの右暴行によっても生じ得るものであるから、被告人の自白の客観的な裏付け証拠としての価値は低いといわなければならない。
(三) 頭部打撲傷と頸部圧迫については、その直接の原因となるような暴行は、Aの証言の中には表われていない。しかし、Aが、自らの暴行をすべて隠さずに証言していない可能性もあり、その場合には、右損傷の自白の裏付けとしての価値はそれほど高くないこととなる。
前記第三で述べたように、Aの証言には信用できない部分があり、しかも、Aには事件の責任を逃れようとする態度がみられることからすると、Aが自らの暴行態様をすべて隠さずに証言しているとはいい切れない。また、たとえば、鑑定書(検三八)によれば、Bの左小指と薬指の間には長さ一センチメートルで筋層にまで達する裂傷が認められ、下腿には、多数の擦過傷が認められるが、その原因となるような暴行は、被告人の自白中にもAの供述中にも表われていないのであって、これらがAの暴行によって生じた可能性は否定できない。このように、Aが自らの暴行をすべて隠さずに証言していない可能性がある以上、頭部打撲や頸部圧迫についても、Aの暴行に起因する可能性は残る。
(四) また、被告人は、公判段階において、捜査官の誘導によって死体の損傷状況に沿うよう虚偽の自白をした旨の弁解をしている。その弁解が信用できる場合には、被告人の捜査段階の自白が死体の損傷状況と符合するのは当然であり、そのことが自白の信用性を高めることにはならないので、そのような誘導による自白の可能性についても検討する必要がある。
まず、被告人が弁解するように、被告人がAの身代わりとなるために虚偽の供述をしたとすれば、そのような誘導や暗示に沿う内容の供述をする可能性は極めて高い。そして、被告人は、Bの頸部圧迫の損傷について、当初は首を絞めたと供述していたが(ただし、供述録取書は作成されていない。)、捜査官から「首を絞めてあんな傷はつかん、ほんまはどうしたんや。」と言われ、考えた挙げ句、「踏んだ」と答えた旨の弁解をしている。この弁解はそれなりに自然である。一般的にも、捜査の過程において、取調官から、誘導とまではいえなくても、関係者の供述内容や死体の損傷状況が語られることはあるから、このような被告人の弁解はそれなりに信用できるというべきであり、死体の損傷状況との符合性は、誘導又は暗示による可能性を否定できない。
(五) 以上によれば、被告人の自白する暴行態様と被害者の死体の損傷状況とが一致していることは、一応、被告人の自白の信用性を高める方向に働くものと評価することができるが、右にみたような虚偽供述の可能性も否定できないから、それだけで被告人の自白の信用性を肯定すべきほどの価値があるものではない。
2 被告人の身体・着衣上の痕跡との符合性
(一) Jの警察官調書、写真撮影報告書(三通、検一一、九二、九三)、鑑定嘱託書(謄本、三通、検六七、七一、九六)、鑑定書(四通、検三八、六八、七二、九七)によれば、被告人は、逮捕当時、下口唇挫創を負って出血し、右手拳が発赤していたほか、着ていたティーシャツのえり元が破れ、着ていたジャンパーやズボンにBの血液が付着していたことが認められる。これらの事実が、被告人の捜査段階の自白の客観的な裏付けとなるかどうかについて検討する。
(二) ティーシャツの破れについて、被告人は、捜査段階では、被告人につかみかかってきたBの手が引っ掛かって破れたと供述していたが、公判段階では、Bが被告人に向かってきたことにすれば、被告人の責任が軽くなると考えて、被告人とCがわざと破ったものであると供述している。
この点については、C自身も、わざと破ったことを認めている(第六回公判調書中の同証人の供述部分)。Cは、この証言の当時もAの配下組員としての活動を継続していたことや、証言の他の部分では、なお被告人に不利な証言を続けていることなどからすると、この部分について、被告人の供述に沿うように虚偽の供述をしているとは考えにくく、証言の中にもあるように、証人として出廷する前に検察官からこの点を確かめられて、捜査段階では黙秘していたティーシャツを破った事実を認めたものと思われる。
したがって、ティーシャツの破れは、被告人の捜査段階の自白の裏付けとはなり得ない。それだけでなく、このことは、捜査段階の自白の一部に虚偽の事実が含まれていることを意味する。ティーシャツの破れが後から作られたものであるとすると、被告人の捜査段階の自白のうち、Bが被告人につかみ掛かってきたという前提事実自体もかなり疑わしいと考えざるを得ず、そのことは、前記二2(三)で述べた被告人の自白内容自体の不自然性につながるものである。
(三) 右手拳の発赤は、それ自体、被告人が捜査段階で述べるような暴行の裏付けとなり得るものである。被告人は、この点について、公判段階では、鉢伏団地でCと二人になったとき、ティーシャツを破ったのと同じころに、偽装工作のために鉢伏団地の壁に右手のこぶしを打ち付けたと弁解しているが、Cは、被告人が壁にこぶしを打ち付けるのを見ていないし、そのような音を聞いたこともないと証言している(第六回公判調書中の同証人の供述部分)。
ところで、Cは、他方で、被告人の右手のこぶしが腫れていたのを見たとも証言しているが、その証言は非常にあいまいであるうえ、その証言を詳細に検討すると、Cは、結局のところ、自らの体験に基づくというよりは、警察で被告人のこぶしの写真を見せられたことやBの顔の腫れぐあいなどから推測してそのような証言をしたものではないかとの疑いがある。それにもかかわらず、被告人のこぶしが赤くなっていたのを見たと強弁するCの証言態度は、あくまでもBを殴ったのは被告人であるということを強調するためのものであるとの印象を与え、かえって、その証言の中立性に疑いを抱かせるものである。そして、被告人の公判段階の供述の具体性にもかんがみると、被告人の右手のこぶしが発赤していたことは、被告人がわざと壁に打ち付けたことが原因ではないかとの合理的疑いを入れる余地があるから、被告人の自白の客観的な裏付けとしての価値は低いといわざるを得ない。
(四) 下口唇挫創について、被告人は、捜査段階では、Aに馬乗りになっていたBを降ろそうとした際に、Bが振り払ってきた右腕が当たってできたものであると供述していたが、公判段階では、車でBを鉢伏団地まで運ぶ途中、Bから頭突きをされてできたものであると弁解している。
Jの警察官調書によれば、右挫創は長さ三、四ミリメートルのものが三つあり、何らかの衝撃が加わって自分の歯が当たってできたものと認められるが、これは、捜査段階と公判段階のいずれの供述とも符合し得るものであり、決め手となるような客観的な裏付け証拠とは言えない。
(五) 前掲証拠によれば、被告人の着ていたジャンパーの前面とジーパンの両膝及び右すそ部分、右の靴下のアキレス腱に相当する部分にそれぞれBの血痕が付着していることが認められる。
被告人が自白する暴行態様と対照すると、右膝でBの顔を蹴り付けた際に右膝部分に血痕が付着し、Bののど首を右足で踏み付けた際にジーパンの右すそ及び右靴下に血痕が付着したと見る余地もある。しかし、被告人のジーパンの両膝部分には同程度の血痕が付着しているのであり、右の推測だけでは左膝の血痕付着の原因を説明できない。また、靴下についても、のど首を踏み付けたのであれば、足の裏の部分に多量の血痕が付着するはずであるが、むしろアキレス腱に相当する部分に多くの血痕が付着しているのであり、この点の説明も困難である。証人井尻巌の証言(第一一回公判調書中の同証人の供述部分)中には、皮下出血であるから足の裏に相当する部分に血痕が付着しなくても不思議ではないという趣旨の供述があるが、当時、Bは顔面を中心にかなりの出血をしていたのであり、流れ出した血液が首付近にもかなり付着していたと推測されるのであり、被告人が首を踏み付けたというのであれば、やはり、足の裏に相当する部分にかなりの血痕が付着しているはずである。
被告人が鉢伏団地でBを介抱した際などに、出血の一部がジーパンのすそや靴下に付着することも十分考えられるから、被告人の着衣への血痕付着状況は、必ずしも被告人の暴行に関する捜査段階の自白を裏付けるものとはいえない。
四 被告人の捜査官以外の者に対する言動
1 Gの証言について
(一) Gは、被告人がGに対し、Bへの暴行を認める発言をした旨証言する(第八回及び第一〇回公判期日における同証人の供述部分)。被告人がこのような発言をしたとすると、それは捜査段階の自白の信用性を高める方向に働く重要な間接事実となりうるものである。
(二) しかし、Gの証言は非常にあいまいである。
Gは、検察官調書において、被告人が「親父に呼ばれて行ったけど、夫婦喧嘩しよったんや。親父が怪我しとったんで、わしも頭にきて姐さんを殴ったんや。」と言っていた旨の供述をしていた。そのため、検察官が、第八回公判期日においてこの点を質問したのであるが、Gは、「被告人がBを振り払ったときに、Bが頭を打って意識がなくなった」という口裏合せの内容を答えるばかりで要領を得ず、一向に検察官調書で述べているような内容を証言しなかった。そして、第一〇回公判期日に検察官が誘導尋問をして、ようやくそれを肯定したに過ぎず、被告人の発言内容を自ら証言したものではない。
(三) Gの証言には、次のような不自然・不合理な点がある。
Gは、「鉢伏団地で待っていると、被告人とAとBが入ってきた。ドアを開ける音と『早う入りまえ』(早く入って下さい)という声が聞こえた。仏壇のある部屋で待っていたら、どんどんという音がしたので、ぱっと振り向いたら、被告人がBを床に打ち付けているのが見えた。それまで下を向いて爪で遊んでいたので、被告人らの様子を見ていない。」という趣旨の証言をする。
しかし、Gは、当日午前四時ころ、被告人が相当あわてた様子で電話を掛けてきて鉢伏団地まで呼び出され、何かあったと思って急いで鉢伏団地に行ったというのであるから、その後、被告人らが到着すれば、ただちに玄関口まで駆け付けるのが普通であり、仏間でずっと待っていたというのは不自然であるし、仮に仏間から出なかったとしても、被告人らが入ってきたことが分かっていながら、そちらを見ることもなく、下を向いて爪で遊んでいたというのは、その当時の状況から考えて、極めて不自然・不合理である。また、被告人の捜査段階の供述と公判段階の供述のいずれによっても、Bは、鉢伏団地に運び込まれた時点では、ほとんど意識もないような状態だったのであるから、そのような者に対し、被告人あるいはAが、「早う入りまえ」(早く入って下さい)と声を掛けたというのも不合理である。
(四) Gは、Aの実姉であり、Aをかばうために虚偽の供述をする可能性は非常に高い。現に、Gは、Aが事件と無関係であることを装うために、捜査段階(検察官調書、警察官調書)で、鉢伏団地ではAに会っていない旨の虚偽の供述をしていたのであり、公判段階の証言中にも、Aをかばうための虚偽の事実が含まれている可能性は高いというべきである。
Gは、最初は被告人をかばってやりたいという気持ちや被告人から口裏合せを頼まれたことから虚偽の供述をしていたが、本当のことを言わなければBも浮かばれないので、本当のことを言う気になったとして、公判廷では真実を述べていることを強調する。しかし、Gが、捜査段階の供述が虚偽であったと認める部分は、被告人が先に鉢伏団地に来て鍵を開けていたこと、その後、鉢伏団地からCをポケットベルで呼び出したこと、救急隊に連絡した後、Cが鉢伏団地に来たことなど、既に関係者の供述等から虚偽であることが明らかとなっているものがほとんどであって、その全体的な供述態度の真摯性にはなお疑問があるというべきである。
(五) なお、Gは、被告人が、自分がやったとの発言をした時期を質問されて、鉢伏団地でいろいろと口裏合せをしたころに、被告人がそのような発言をした旨証言しているが、Gの検察官調書では、Gが、Bの容体を見て、なぜそのような状態になったのかを被告人に尋ねたときに、被告人が前記のような発言をしたと供述しているのであり、そこにも食い違いがある。
(六) Gは、被告人の逮捕後、被告人に対し、被告人が使用していたA所有の乗用車を被告人に贈与したり、また、不動産仲介の報酬を被告人に渡す旨の話をしているが、その時期や経緯からみて、これは、被告人がAの身代りとして罪をかぶることに対する報酬の疑いがある。
(七) 以上のように、被告人が暴行を加えたことを認める発言をしたというGの供述は、それ自体あいまいであるうえに、同証人の証言には右のような疑問点が見られるから、その信用性は低いというべきである。
2 Cの証言について
Cは、鉢伏団地で、被告人が「オヤジに恥かかしたけん、わしがやったんや。」と言っていたと証言する(第六回公判調書の同証人の供述部分)。
しかし、Cは、Aの配下組員であり、Aの逮捕後は毎日面会に行き、現在でもAの仕事の手伝いをしていることなどから考えて、Aをかばうために虚偽の供述をする可能性は極めて高い。現に、Cは、被告人のティーシャツを破ったことを公判段階まで黙秘していたこと、被告人のこぶしが赤くなっていたのを見たという同証人の証言が信用できないことなど、被告人の暴行を強調しようとする姿勢の現れと見ることのできる供述態度をとっているのである。
したがって、被告人が自分がやったと発言したというCの証言についても、Aをかばうための虚偽の供述である可能性は否定できない。
3 Fの証言について
(一) Fは、鉢伏団地で、被告人から、BがAを殴ったのを見て自分もかっとなってやったと聞いた旨の証言をする(第七回公判調書中の同証人の供述部分)。
(二) しかし、Fは、捜査段階では、被告人から、Aが頭から血を流していたのを見て被告人が腹を立ててBに手を掛けたということを聞いた旨供述していたのであり、BがAを殴ったのを被告人が見たという趣旨の供述をしてはいなかった(検察官調書、警察官調書)。そこには供述の変遷が見られるが、Fは、この点についてどちらが正しいのかと確かめられても、「はっきりしません。」と答えるにとどまっており、その証言はあいまいである。
(三) また、Fの証言によれば、Fは、被告人とAの双方がBに暴行を加えているという前提で、Aの責任を軽減するために、被告人がすべての暴行を行なったことにする旨の口裏合せについて、当初から関与していたことが認められ、これに加えて、FとAが暴力団組織における兄弟分の関係にあることも考慮すると、Fが、Aに有利に事実を曲げて証言する可能性は否定できない。
(四) Fは、捜査段階では、被告人が、鉢伏団地で、自分も手を出しているので、自分一人で仕舞いすると言っていた旨供述していたが、公判段階では、その時点ではそのようなことは言っていなかったと思うというように供述が変遷しているが、その変遷の理由は明らかではない。
(五) このような点から考えると、被告人がBに対する暴行を認める発言をしたというFの証言についても、疑問の余地はあるというべきである。
4 Kの証言について
Kは、「本件について、Cが、被告人は親分の身代りであると言っていた。警察の留置場で被告人と隣の房になり、被告人自身も身代りであることを認める発言をしていた。私は、被告人に身代りなどやめて本当のことを言った方が良いと忠告したが、被告人はそんな気はないようだった。その後、被告人が移監されてからも文通を続けていたが、被告人が手紙に、被害者に申し訳ないし、やり直すためにも本当のことを言うと書いてきたので、私もその方が良いと返事を書いた。」旨の証言をする(同証人の当公判廷における供述)。
これは、被告人の弁解内容に沿うものであり、被告人の供述の変遷過程にも合致する。Kは、被告人だけでなくCとも友人関係にあり、その証言は中立的なものと評価できる。さらに、Kは、事件直後にCと行動をともにし、CがFの指示で、被告人と暴力団組織とのつながりを示す証拠類を隠匿しようとしていたことまで包み隠さず証言しており、証言態度の真摯性も認められる。
このような点から考えると、被告人が、事件後、自らがAの身代りである旨の発言をしていたというKの証言は信用できるというべきである。
5 小括
G、C、Fの各証言の信用性はいずれもそれほど高いものではない。また、この三者は、Aに有利な証言をするという点で利害が共通し、かつ、口裏合せも容易にできる関係にあることからすると、その証言が一致しても、相互に補強しあう関係はそれほど強いものではないから、これらの証言を総合しても、被告人がBへの暴行を認める発言をしたという事実を認めることはできない。
むしろ、Kの証言によれば、被告人が、Aの身代りであるとの発言をしていた事実が認められる。
五 被告人の公判段階の弁解の信用性
1 被告人の弁解内容
被告人の公判段階の弁解の要旨は、次のようなものである。
被告人は、午前三時三〇分ころ、Aからポケットベルがならされ、折り返しAに電話を掛けると、飯間ビルへ来るよう言われた。午前三時五〇分過ぎころ、飯間ビルに到着した。Aは、Bが初めから金が目当てで自分と付き合っていたことに激怒して、Bに暴行を加えていた。被告人は、飯間ビルでBに暴行を加えていない。Aは、Bの髪をつかんで引きずりながら部屋を出た。Aの指示で、Bを自動車に乗せて鉢伏団地に運んだ。その途中、木村うどん店前からGに電話したが、その際にも、AはBに暴行を加えていた。午前四時三〇分ころ、鉢伏団地に着くと、Aは、Bの髪をつかんでそのままBを引きずって階段を上がり、部屋に入った。被告人が遅れて部屋に入ると、Bが台所の床に倒れており、AとGがその横に立っていた。Gが、被告人に「どしたん。」と尋ねたので、被告人は、「姐さんはおやっさんをだましとったんや。」と答えた。被告人は、AがさらにBへ暴行を加えそうな気配だったので、それをさせないためと被告人が臆病でないことを見せるために、Bのパジャマの襟をつかんで上体を起こし、「何考えとんや、こら。」と言いながら前後に揺さぶった。すると、Aは「もうええ。」といいながら止めに入った。
2 弁解の時期、弁解の動機について
被告人は、第一回公判期日において、公訴事実に対する認否を留保し、第二回公判期日において、公訴事実を否認する陳述をし、それ以後、前記のような弁解をするに至ったものであるが、第四回及び第五回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の弁護人に対する供述録取書によれば、その間、被告人は、Gが依頼した佐長弁護士ら(第一回公判期日後に辞任)に対して犯行を認める供述をし、被告人の叔父が依頼した主任弁護人に対しても、当初は同様に犯行を認める供述をしていたが、その後、主任弁護人に説得されて、身代りであると供述するに至ったことが認められる。
被告人がAの身代りとなる意思を有していたのであれば、当初からこのような弁解をしなかったことは当然であり、その後、否認の弁解に転じた点についても、身代りを続けるべきかどうか揺れ動く被告人の心情として理解できるから、弁解の時期については、合理的な説明が可能である。
そして、そのような弁解をするに至る動機として、被告人は、①被害者の両親の警察官調書を読んで事案の重大性に気付き、嘘を言って済まされないと感じたこと、②この事件は、暴力団組織の抗争などではなく、A個人の問題であるから、組員の自分が身代わりを務める理由がないうえ、親分の女を殺したということでは、社会復帰しても、事件の真相を知らない組織からは消極的評価しか得られず損だと感じたこと、③被告人の母がGから被害者の葬儀代五〇万円の半分の負担と示談金五〇〇万円の負担を求められたことの三点をあげている。
ところで、検察官は、右①②は公判段階以前から存在していた事情であり、弁解の動機となり得ないと主張する。
しかし、当初、身代りについて軽く考えていた被告人が、公判段階に至って初めて事の重大性に気付くということがないとはいえない。とくに、Bの母親であるB'警察官調書は、愛する一人娘が死に至らしめられた無念さを悲痛な叫びで強烈に訴えかける内容であり、読む者の胸を詰まらせるものであるが、このような調書を差し入れられた被告人が、事件の真相を隠したままにしておけないと感じたというのも十分うなずけるところである。
そして、③についても、Fらから、「後のことは心配ない。弁護士のこともちゃんとする。」などと言われて安心していた被告人が、母親から、示談金や葬儀代の半分の負担をGから求められていると聞いて、なぜ母親がこんな大金を払わなければならないのかとの気持ちになり、身代わりを続ける意思を失ったというのも自然なことである。
このように、被告人がこれまでの自白を撤回し、弁解をするに至った動機は、自然で合理的であるということができる。
3 弁解内容の自然性・合理性
被告人の弁解は具体的で迫真性に富み、その内容も、A自身が被告人を飯間ビルへ呼び出したこと、飯間ビルから鉢伏団地へ向かうことはAの指示であったこと、木村うどん店前からGを呼び出したのもAの指示であったことなど、捜査段階の自白では不自然・不合理と考えられた点について、納得のいく説明をするものである。
そして、何よりも、Bが金目当てでAと付き合っていたことで、裏切られたと感じ、強い攻撃意思を抱くのはA本人であるから、子分である被告人が親分の内妻に手を掛けたという捜査段階における自白は、この点で非常に不自然であり、公判段階の弁解の方が自然で合理的であるといえる。
4 客観的証拠との符合性
(一) 被告人の弁解では、被告人が飯間ビルに入った時、Bは西側に三個並んだソファーの上に横たわっていたとされているが、実況見分調書(検七六)によれば、西側のソファーからは血痕が検出されていないことが認められ、検察官は、この点で、被告人の弁解が不自然であると主張する。
しかし、検証(実況見分)調書(検三)によれば、右ソファー上の女性用の洋服の前面には血痕が付着しているが、実況見分開始時には、その洋服は丸められていて血痕が見えない状態であったことが認められる。これによると、右洋服は当初、前面に血痕が付着しうる状態で置かれていたが、血痕が付着した後、何者かがこれを丸めて置いたと考えられる。そして、その後、Cが飯間ビルで簡単な片付けをしていること(C証言、F証言)や、飯間ビル室内の他の床面に付着した血痕がそれほど多量ではないことも考慮すると、被告人が飯間ビルに入った時、Bはソファー上に横たわっていたが、血が多量に流れ出すほどの出血をしていたわけではなく、ソファーの上に右洋服が広がった状態で置かれていたため、血痕は洋服に付着しただけでソファーには付着せず、その後、Cが洋服を丸めて片付けたという可能性が考えられる。
そうすると、右ソファーに血痕が付着していないということから、直ちに被告人の弁解の信用性を否定すべきものとは考えられない。
(二) 検察官は、被告人の弁解では、AがBの髪をつかんで引きずって飯間ビルから出たとされているが、部屋の内外には引きずったような形跡がないと主張する。
しかし、検証(実況見分)調書(検三)、実況見分調書(検七六)によれば、飯間ビルの玄関前の台所の床には、肉眼では判然としないが、ルミノール検査によってかなり広い範囲で血痕が付着している事実が認められる。したがって、Bを引きずって行った形跡がないとはいえない。また、部屋の外に肉眼では血痕付着の事実を確認できないが、そこではルミノール検査が行なわれていないのであるから、血痕付着の事実がないとは断定できない。
(三) 被告人の弁解では、Aは鉢伏団地に着いてからも、Bの髪をつかんで引きずって階段を上がって行ったとされている。検察官は、鉢伏団地の廊下の壁面の高さ約一一九センチメートルの位置にBの血痕が付着していることから、引きずったのではなく、Aが証言するように、両腕で抱きかかえて運んだと認定する方が合理的であると主張する。
検証調書(検八〇)によれば、検察官の主張するような位置に血痕が付着していることが認められるが、その血痕にはある程度の広がりがあり、抱きかかえられていた状態のBの身体から直接付着したとは考えにくく、むしろ、Aが壁面に手を着いた際に、Aの手に着いていたBの血が壁面に付着したと考えるのが自然である。
そして、右検証調書によれば、鉢伏団地の階段には、Bの身体からしたたり落ちたと見られる血痕(右検証調書中の血痕番号3から6まで、8から10まで)のほかに、引きずった時に付着したと思われる血痕が多数認められるのであり(同血痕番号7、11から15まで)、現場の血痕の状況は、むしろ、被告人の弁解に符合するというべきである。
(四) 写真撮影報告書(検五)及び鑑定書(検三八)によれば、Bの死体には、左膝蓋下部、左足関節部、左外顆、左足背、右下腿内側に表皮剥奪や皮下出血が認められる。これらは、写真から見る限り擦過的作用によって発起したものと考えられる(鑑定では死因に関係がないためか、その成傷原因について詳しく触れられていない。)が、そのような表皮剥奪を生じているのが、くるぶしや膝の下など髪をつかんで引きずられた時にちょうどこすれる可能性の高い部分であることからすると、Bの死体には、引きずられた痕跡が残っているというべきである(なお、当時Bが着ていたパジャマの左膝の部分の破れは、その位置からみて、左膝蓋下部の擦過傷と同時にできたものと考えられる。)。
なお、右鑑定書を作成した証人井尻巌は、Bの死体に線状の表皮剥奪が見られないことから、引きずったということは考えられないと証言する(第一一回公判調書中の同証人の供述部分)が、引きずった場合に常に線状の表皮剥奪を生じるとは限らず、右のように、突起した部分に丸く表皮剥奪を生じることもあると思われる。
5 時間的経過の符合性
(一) 検察官は、被告人が飯間ビルに到着した時間が午前三時五〇分過ぎころであり、鉢伏団地に到着したのが午前四時三〇分ころであることを前提にして、被告人らが飯間ビルから鉢伏団地に移動した時間はおよそ二〇分間であると推認されるから、飯間ビルを出たのは午前四時一〇分ころであり、被告人は飯間ビルに一五分から二〇分くらいいたはずであり、そのことから、被告人の弁解は虚偽であり、被告人が暴行を加えたことが推認されると主張する。
(二) しかし、飯間ビルから鉢伏団地までの移動に二〇分くらいしか掛からないという推認の根拠は、単に、被告人方から飯間ビルまでの距離と飯間ビルから鉢伏団地までの距離があまり変わらないということと被告人が高速で運転していたことだけであり、あまりに根拠が薄弱である。また、その途中、木村うどん店前からGに電話をかけた時間についても、短時間であるから考慮する必要がないとしている点でも問題がある。
(三) ところで、Gは、被告人からの電話は午前四時過ぎころであると供述する(Gの警察官調書)が、ビデオデッキのデジタル時計でこれを確認したと供述していることから、その時刻は正確であると認められる。そして、弁護人が主張するように、飯間ビルから木村うどん店までの距離が約14.5キロメートルであり、平均時速一〇〇キロメートルで走行しても約九分程度掛かるとすれば、被告人が飯間ビルにいた時間は五分以内となり、むしろ、被告人の公判段階の弁解と符合するというべきである。
6 小括
以上のように、被告人の公判段階の弁解は、具体的詳細で迫真性に富み、客観的証拠にも符合しており、弁解に至る経緯や弁解の動機も不自然とはいえない。
第五 その他の状況証拠について
一 G(第八回、第一〇回公判期日)及びA(第一三回公判期日)は、被告人が鉢伏団地で被害者の後頭部を床に打ち付けているのを見たと証言し、C(第六回公判期日)及びF(第七回公判期日)も、被告人がそれを認める発言をしたと証言している。この暴行自体は、訴因として掲げられていないが、被告人が鉢伏団地でそのような暴行を加えたという事実が認定できるのであれば、その事実は、被告人の攻撃意思を表わすものとして、公訴事実記載の飯間ビルでの暴行を推認させる間接事実の一つとなる余地はある。
そこで、G、A、C及びFの各証言から、鉢伏団地での被告人の暴行の事実が認定できるかについて検討する。
二 Gの証言について
Gは、公判段階で突然、被告人の鉢伏団地での暴行の事実を証言をしたものであるが、捜査段階では、この点について何も供述していなかった(Gの検察官調書、警察官調書)。
Gは、この点について、被告人をかばってやりたかったからだと供述しており、その理由には、それなりにうなずける面もないではない。既に指摘したように、Gは、Aが事件の責任を問われないようにするため、捜査段階において虚偽の供述をしていたが、そればかりでなく、被告人のためにもできるだけ情状面で有利なように事実を曲げて供述する可能性は残っているからである。現に、Gの警察官調書では、被告人がBを振り払った際にBが頭をぶつけたという口裏合せに沿う供述がされており、被告人をかばうために事実を曲げて供述する姿勢がうかがわれるのである。
しかし、Gは、検察官調書では、被告人がBを殴ったと言っていたと供述していて、被告人をかばうという態度は徹底していないし、被告人とAの利害が相反すれば、最終的にはAの側に有利な供述をする可能性が高いことからすると、被告人をかばってやりたかったから鉢伏団地での被告人の暴行を供述しなかったという証言にも疑問の余地がある。
したがって、Gの右証言は、供述が当初から一貫している場合に比べて、その証言の信用性は低いと判断せざるを得ない。
三 Aの証言について
Aは、再度の証人尋問を受けた第一三回の公判期日において、被告人が鉢伏団地においてBに暴行を加えた旨証言しているが、このような暴行態様については、捜査段階で一切触れていなかっただけでなく、一回目の証人尋問の際にも供述していなかった。
Aは、その理由について、自分が被告人を呼び寄せたためにこんなことになってしまい、自分の責任であると思っていたので、自分のことは言えるが人のことは言えなかったからであると説明している。しかし、Aは、捜査段階から一貫して、被告人がBを蹴った直後にBの容体がおかしくなったと供述しているのであり、初めから被告人をかばうような供述をしていないのであるから、この説明は不合理である。さらに、Aの右証言は、一方で、その直前までの状況について記憶がほとんどないとしてあいまいな供述をしつつ、他方で、被告人の右暴行のみを正確に記憶しているという点でも不自然である。
四 Cの証言について
Cは、「(拘置所で面会した時に)I君から、自分はやってないんや、こんなんかばいよったらあほらしいがということを言って来よったけん、自分は事件の内容も分からんし、うんうんといって聞きよったんです。その時点で、もう自分はGさんから最後にやった分でおかしくなったんやと聞いておったから、最後にやったんはI君やろうと言ったら、うんそうやと言いました。」と証言する(第六回公判調書中の証人Cの供述部分)。
ところで、Cは、平成四年四月三〇日付け警察官調書で、被告人とともに鉢伏団地までBを運び込んだ後、被告人がBを殴り、Bが床に頭を「ゴン」とぶつけたと供述している。Cが被告人とともにBを鉢伏団地に運んだという点は客観的事実に反するものであり、Cが鉢伏団地で、被告人のBに対する暴行を見たということはありえないにもかかわらず、Cは、Bが頭をぶつけたという供述をしたものである。その理由について、Cは、その時点ではGからそのように聞いていたからだと思うと証言しており、そうすると、Cは、事件当日には既にGからそのようなことを聞いていたことになるが、その後の調書では、Gから聞いたことについて全く供述をしていないのである。それなのに、公判段階になって、前記のような証言をするに至ったのは、Gの証言に合わせるためではないかとの疑いがある。
また、拘置所での面会時に職員が立ち会う中で、被告人がそのような発言をしたというのも疑わしいが、仮にそのような発言をしたとしても、被告人の弁解にもあるように、鉢伏団地で、被告人がBの体を前後に揺さぶった後、Bの容体がおかしくなったということを、被告人がCに対して認めた趣旨の発言として理解する余地もある。
五 Fの証言について
Fは、公判段階で突然、被告人が鉢伏団地でBを床に二回打ち付けて、それからBの容体がおかしくなったと被告人が言っていた旨証言する。
しかし、Fは、被告人がそのような発言をした時期等について、「多分、聞いたとしたらLのところぐらいです。」とか「場所ははっきり分かりません。」というようにあいまいな供述しかしていない。また、Fは、捜査段階ではそのようなことは全く供述していなかったが、その理由については、被告人が、自分がやったと認めていたので、被告人自身がそのように供述していると思っていたからであると証言するがこれもやや不自然である。
六 小括
このように、各証人の証言には右のような疑問点があるが、それに加えて、これらの証言を総合しても、被告人がBの頭を床に打ちつけた動機となるべき状況は全く明らかになっていないし、何のやりとりもなしに、突然、被告人がBの頭を床に打ち付けたというのも不自然・不合理である。また、これらの者は、捜査段階では少しずつ食い違いのある供述をしていながら、誰一人として、鉢伏団地で被告人がBの頭を打ち付けたというような供述をしていなかったのに、公判段階で口をそろえて同様の証言をし始めたこと自体がそもそもおかしい。そして、これらの各証人がAをかばうという点で利害を共通にしていることなども考慮すると、これらの証言の信用性には多大な疑問がある。
むしろ、Gらは、被告人が公判段階で犯行を否認し始めてから、飯間ビルで被告人が暴行を加えたという線を維持するのが難しくなったので、せめて、被告人が鉢伏団地でBを前後に揺さぶったという行為を脚色し、被告人がBを床に打ち付けたという供述をすることによって、事件の最終責任を被告人に押し付けようとしているのではないかという疑いさえ抱かせるものである。
したがって、これらの証言から、被告人が鉢伏団地でBに暴行を加えたという事実を認定することはできない。
第六 結論
公訴事実を支える直接証拠としてのAの証言には、多くの疑問点があり、その信用性は低いといわざるを得ない。被告人の捜査段階における自白は、暴力団組織における親分であるAをかばう意図のもとになされた虚偽の供述ではないかとの疑いが強い。そして、そのほかに公訴事実を認めるに足りる状況証拠も存在しない。
したがって、被告人がBに対して公訴事実記載のような暴行を加えたという事実を認定するには、合理的な疑いを入れる余地が多分にあり、結局、傷害致死の公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡しをする。
(裁判長裁判官野口賴夫 裁判官竹野下喜彦 裁判官森實将人)